ゆきねぇブログ

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8年前の記憶



 こんにちは。ゆき (@iamyuki_t) です。

 

 今日は、3.11 です。

 テレビも東日本大震災の被害や悲しみ、追悼といった話も徐々に少なくなってきて、復興や政府の対策といった話が多くなっているような気がします。

 決して亡くなった方々や遺族の方たちを軽視しているわけではないとは思うのですけれど……

 

 さて、そんな日に投稿する内容として色々悩み、悩んだ結果、わたしの話をしたいと思います。

 

 いつも、これ ↓

 

skymin.hatenablog.com

 

 みたいなふざけた記事を書いているわたしですが、今回のは特に面白い話でもないですし、画像も用意してません。

 それでも良ければ、一緒に読み進めてもらえると嬉しいです。

 

 

8年前の今

 当時のわたしは 13歳でした。ちょうど中学1年生です。

 その日は、部活の同級生と 2年生の先輩たちと一緒に、3年生を送る会の余興の練習をしてました。

 たしか、学校に一番近かった先輩の家のことだったと思います。

 余興の練習についてはあまり覚えてはいないのですけれど、何かしらのダンスだったと思います。全力でネタに振った、替え歌みたいなやつ。

 狭い (と言っちゃ失礼だけど) リビングの中、テレビの前で踊るわたしたち。シュールでした。

 2、3時間くらい経ったころでしょうか。急に母から連絡がきました。

 

母「迎えに行くから、絶対に外に出ないで!」

私「???」

 

 たしかこんな感じのことを言っていたと思います。

 はじめは何がなんだか分からなかったのですが、ビデオからテレビに切り替えるとその理由が分かりました。

 

 

 すべてのテレビ局が緊急ニュース。

 どの番組にも、津波警報が記されていて。

 外の風景とは違う、崩壊した街並み。

 

 

 最初は、全てのテレビ局が同じようなドラマや映画を流しているのだろうか、なんて暢気なことを思っていました。

 それくらい、わたしには現実離れしていて、理解できないことでした。

 興奮するわたしと、諭してくれた先輩。信じられないと呆ける同級生。

 

 でもそれが本当のことであることは、迎えに来た母によって家へ戻るまでの道程が物語っていました。

 いつもは混まない道が渋滞。誰もが皆焦っているように見えて。

 わたしはその、いつもより時間のかかる帰路のおかげか、少しずつ落ち着きを取り戻すことができたのです。

 

 その日の夜は、無事に明日を迎えられるかどうか、不安でなかなか寝付けなかったことを覚えてます。

 

追悼

 そしてわたしは、3年生を送る会を無事に済ませ、中学を卒業し、高専に入学し、今に至ります。

 わたしがその震災の被害を受けなかったのは、たまたま沖縄に住んでいたというだけです。

 

 8年前の3月11日の後、新聞や数々の書籍を拝読する中で、東北地方を中心に、東京、北関東を含めた東日本でどのようなことが起こったのか知りました。そして、今あるわたし達の日常の裏で、何が起こったのかも。

 目を逸らしたくなるようなことも、いくつもありました。

 

 

 今もまだ、被災地には様々な問題があります。

 わたしは直接何かをできる立場にはない、ただの一小市民でしかないのですが、せめて当時の記憶は、震災と同じ時間を生きた者として、後世に語り継ぐ責務はあると思います。

 被災した方々に、追悼を込めて。

 今回は締めさせていただきます。